「魔女の生徒会長」感想文(ネタバレあります)
「魔女の生徒会長」を読んだ事を元にして感想文を書こうと思います。
- 作者: 日日日,鈴見敦
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2007/10
- メディア: 文庫
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わたしはネタバレ無しで感想文を書く事ができない人間なので完全にネタバレしますので読みたくない方は読まないようにしてください。
例えば自分が何か欠けているのだとしてもほとんどの人はそれに気づく事はありません。欠けている場合、その状態があまりに普通だからです。
いったい欠けていると気づくのはどういった時なのでしょうか。
自分に何かが欠けていると気づくのは他人がその欠けている部分をもっていると理解した瞬間です。
他人は完全な他人ではだめで、多少は心が通じあっていなければいけません。
心の多少通じあった他人、そこに自分に無い物をみつける事はそれほど幸福な体験ではありません。また一度その欠けた物を理解してしまうと、自分に無い事が理解できてしまい、欠けている物を不幸に思ってしまう物です。
この物語には痛みが理解できない人間が出てきます。痛みが理解できないので、蜂を殺す事と人間を殺す事は同列です。
痛みが理解できる人間は、蜂の痛みは通常理解できないので、蜂を殺す事に躊躇はしないでしょうが、人間の痛みは理解でるので、共感が発生して、殺したりはできない物です。
人間にナイフを刺す事を想像しただけで通常の人間は痛みを想像してしまい、躊躇する物です。
痛みがまったく理解できなければ人を殺す事などなんともない事でしょう。可哀想だと言う思いさえほとんどありません。
この物語に出てくる人物は、物理的な痛みを理解できません。世界にはこういった人間は本当にいるのです。
ただ痛みを理解できない場合通常は簡単に死んでしまいます。でも強いと生きのこるのです。強いというのは一つには不幸な事なのかもしれません。
物理的な痛みが理解できない人は早めに死んでしまいますが、精神的な痛みを理解できない人はそれよりも弱くありません。やはり生きのこってしまいます。
精神の痛みを理解できない人間は、悲しみや怒りや喜びが実際の所理解できないのです。
他者の心を殺しても、そこに同情は生れません。
殺して相手が苦しんでいても、それが共感できません。相手に平気でナイフを刺す事ができます。
わたしも本質的にはそういう人間です。他人が泣くのが長い間理解できなかった人間です。
物理的な痛みで泣く事はあっても、精神的な痛みでは泣いた事がなかった。その痛みが理解できたのは大学にはいった頃です。
ある日突然のように人は心が痛む物なのだと理解したのです。
それは何か大切な物を失なってはじめて理解される事なのです。失なわれた後には大切な物はもうこの世にはないのに。
痛みを理解しても無駄なのかもしれません。
物理的な痛みを実感させるには殴ればだいたい解決します。この小説でもそうします。
精神の痛みを実感させるのはとても難しい。心を本気で殴る事はなかなかできない。殴る方が相当に高度でないとその痛みを実感させられない。
もし痛みを実感させたとしてそれが相手にとって幸福なのだろうか、という事も考える必要があります。
この小説では、友達と友達でいたい、そのために自分の欠けている物を理解したいと思うのですが、それを理解した所で、友達と友達ではいられないのです。
欠けているのは、その欠けている部分を理解しても決して埋まらない。
だったら気づかないままの方が幸せなのかもしれないのです。
でもわたしは気づいてしまい、その事で不幸だと感じた事は一度もない。
ただ、痛みを感じない事その物はちょっと悲しく感じる事はあるのです。
わたしは本気でわたしを殴ってくれる人がほしかった。本気で殴ってくれる人が出てくる物語はとても悲しい。
そういう人はもうありえないのだから。